世界史の目−Vol.5−

ゲルマン民族の大移動(375年から約2C間)

 ゲルマン人はインド=ヨーロッパ系のゲルマン語を話す、諸々の部族の総称で、もともとバルト海(スウェーデンやポーランドに面する海)を原住としていた。狩猟・牧畜・農耕生活の拡大に伴い、バルト海沿岸から南下してライン川・ドナウ川にまで広がり(B.C.1C)、このときローマと接触する。交易をおこないつつも、傭兵や小作農(コロヌスという)さらには下級官吏としてローマ国内に移住するなど、平和だった(このとき、ローマに住むゲルマン人は、当時キリスト教会で異端とされていたアリウス派キリスト教に改宗していることに注目)。カエサルは『ガリア戦記』を、タキトゥスは『ゲルマニア』をそれぞれ著して、当時のゲルマン社会を記録している。4世紀半ばになって、人口増加による土地不足、ロシア南部から現れたアジア系フン族(騎馬民族。中国を脅かした匈奴の残党、北匈奴と同一民族か?)の圧迫や恐怖感から大移動を考えるようになった。

ゲルマン民族は、従士制(平民は主君に従い参戦し、かわりに保護恩恵を受けるという、のちの西欧封建社会の根源となる制度)にもとづいた、部族制国家の性格があった。広大な領域に点在し、部族ごとに王に率いられていたが、そのゲルマン部族の中で、黒海北岸にいた東ゴート族375年フン族に征服され、フン族は東ゴート族を従えて西進した。これを恐れたゲルマン一派西ゴート族は同年、南下を開始し、翌年ドナウ川を渡ってローマ領東部に大移動を始めた。これがゲルマン民族の大移動の発端となったわけである。これにより、他のゲルマン部族もあちこちに移動を開始しては、戦って滅ぼされるなどの繰り返しが起こった。たとえば東ゴート族は、フン族の衰退とともに自立しイタリア半島に移動、時の東ゴート王テオドリック(王位473?〜526)は、先に入り476年に西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン傭兵隊長オドアケルを倒し、東ローマ帝国に滅ぼされるまで東ゴート王国(493〜555)を繁栄させた。西ゴート族もウマイヤ朝に滅ぼされるまで西ゴート王国(415〜711)なる国をおこしていた。他にもヴァンダル族、ブルグント族、ロンバルド族、アングロ・サクソン・ジュート、フランク族などが自身の部族国家をおこしている。その中でフランク族はライン川東岸に原住しながら北ガリア地方にまで居住区域を広げ、フランク王国を建国、5世紀後半にメロヴィング家のクローヴィスが、キリスト教会で正統とされたアタナシウス派キリスト教に改宗したことでローマ人と親密になってローマ教会に接近していき、西欧カトリックの発展へとつながり、やがて、フランス・イタリア・ドイツの基礎が生まれていくのである。

フランク王国が誕生してからは、歴史内容が非常に濃いので、また次の機会に説明しましょう。

 ゲルマン移動の年である375年は"ゲルマンみなごろし"という覚え方があります。カエサルの『ガリア戦記』は紀元前1世紀、タキトゥスの『ゲルマニア』が紀元後1世紀の作品であることも注目。また今回述べませんでしたが、フン族にアッティラ(王位433〜453)という王様がいて、451年にカタラウヌムの戦い(451年="カタラウヌムでしごいたれ"で覚えよう。今日は覚え方が野蛮で申し訳ありませんm(-_-;)m)で敗れたあと、疫病で没し、その後フン帝国は瓦解していきます。

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